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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
2025.06│ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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(親戚の立花家より寄贈の家系図)

いつもいつも同姓とはいえ他家の系図や由緒を無断でアップしていることを申し訳なく思ってます。
一応当時の当主が公表しているネタのみ書いておりますが、子や孫、子孫の方にしてみれば迷惑かもしれません。
もちろん公表しないでくれと云われたネタは一切書いておりませんし、近代の名前も控えております。

ということで、自家の事を公表しないのは卑怯ですので書かせていただきます。
もし拙家の先祖と繋がる方がいらっしゃいましたら是非ご連絡ください!

まず、遠祖は佐竹氏に仕え(名前はわかりません)、佐竹氏が茨城から秋田へ転封のおり、帰農しました。
佐竹氏にずっと仕えいたかはわからず、大掾氏旧臣録や他の立原家のパターンから察するに
鹿嶋氏→大掾氏→江戸氏→佐竹氏かもしれませんし、秋田立原家の様に鹿嶋氏→佐竹氏かもしれません。

江戸中期に外野村百姓立原次郎衛門より分家し、水戸藩の足軽となりました。おそらくは海防系の同心かと思われます。
初代、爲信(郡方勤務)
二代、惟高(海防、名字を立花と誤って登録)
三代、爲利(海防、先手同心手代)

三代目の爲利が諸生党の部隊の先陣で死亡し、四代目好之(立花氏)と五代目信清(立原氏)は士分にしてもらいました。諸生派から中立の立場になったそうです。
明治になり六代目信治で先祖が残した財産を上手く運用できず多くの農地を失ったそうです。
七代目の祖父五郎男はスーパーエリートでした。
続いて八代目の父、九代目の私は残念ながら先祖とは真逆のドン底であります。

とりあえず以上でございます。

次回は秋田藩士立原家について書かせていただきます。
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そもそも先祖も家系も全く興味なく、ちょっと珍しい名字でなんだか嬉しい気持ち位でした。

大人になり子供が生まれ、自分の家のお墓が気になり始めました。
その頃から神社やスピリチュアル、日本史が好きで自分は出雲系の末裔だったらいいなあ、なんて事を思ってました。

長男の兄に男子がなく、たまたま僕に男子が産まれたので、自分の家のお墓を調べようと更に思いました。


ちょうどその頃、白虎隊の末裔の方と仕事先で出会い、先祖調査のノウハウを教えて頂き、更に興味が出てきた次第であります。