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    <title>根なしの橘</title>
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    <description>茨城県の立原氏を趣味で研究しております。</description>
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    <title>立原家の歴史調査もai頼み②</title>
    <description>

画像は立原氏嫡流初代から八代目の輩行名の理由と、後の佐竹家臣立原氏に繋がる家の輩行名と諱について語った内容の一部です。
まあ、aiですから基本よいしょしてくれて、大体イエスと言ってくれているのかと思いますが、私の推論とaiの意見はバッチリあってました。
何故、大掾系図に記された嫡流は四代目で立原...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/Screenshot_20260927-163029.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1790494314/" alt="" /><br />
<br />
</a>画像は立原氏嫡流初代から八代目の輩行名の理由と、後の佐竹家臣立原氏に繋がる家の輩行名と諱について語った内容の一部です。<br />
まあ、aiですから基本よいしょしてくれて、大体イエスと言ってくれているのかと思いますが、私の推論とaiの意見はバッチリあってました。<br />
何故、大掾系図に記された嫡流は四代目で立原家的な伝統的輩行名「五郎」をやめたのか。そして後に佐竹氏に仕える分家が「五郎」を使い始めたのか。<br />
Aiの見解ですと、嫡流の家格上昇に伴い「平氏」の本家格である「平太、小平太」等を使い始め、伝統的な「五郎」は有力な分家にプレゼントした。そして佐竹氏に仕えた分家六代目の諱は「貞幹」、大掾一門の証「幹」を使い始めた、という推論。私も家格上昇で輩行名を変えたという所以外は推測してましたが、「家格上昇」は気付きませんでした。確かにこの頃立原家は大使役という費用がとてもかかる祭祀を庶子ながら行っております。弱小庶子では経済的無理です。ai曰く収入は農業だけでなく、立原村は水運が出来て、鹿島神宮関係も関係しているのでは？とのこと。ハッとしましたね。確かにそうだ！そう言えば立原の地を買領した行方氏も水運に長けた一族じゃなかったっけ？そう、買領された立原の地も買い戻せたのでしょうね。なんせ大使役できちゃうんですから。そしてちょうどその頃輩行名は「小平太」等に切り替わったのでは？<br />
ではここからは私の妄想の立原嫡流の歴史です&darr;<br />
<br />
初代、立原久幹(五郎)<br />
「俺は郡司の鹿島成幹の五男だ！家臣は10人もいないけど誇りを持って頑張るぞ！」<br />
<br />
二代目、立原盛幹(五郎次郎)<br />
「俺が跡取りだ！弟の繁幹(三郎)には春秋村を任せたし、親父の側室の子達も元気だし、立原家は安泰だ！」<br />
<br />
三代目、立原兼幹(小五郎)<br />
「ヤバい、財政難だ。致し方なし、同族の行方殿に土地の権利を売ろう」<br />
<br />
四代目、立原重幹(五郎太)<br />
「なんとかせねばならぬ！そうだ、水運に手を出そう！北浦はすぐそこだ。それと神宮の方にもちゃんと付き合いをしないとな。ん～うちの一門で神職やれるやついないかな？」<br />
<br />
五代目、立原武幹(小平太)<br />
「父上が財を成してくれたお陰でようやく行方殿から権利を買い戻せた！そして本家(鹿島氏)から大使役の抜擢を受けた！俺は晴れて大掾だ！よし、小平太と名乗っちゃお！しかし光栄だが金がキツイ。大掾氏各一門からもしんどいと聞いている。もう本家だけに頼るのは危険か？リスクヘッジだな。よし、隣に住んでいるイケてる親戚に話を持ちかけよう。&hellip;ということで親貞君、君は五郎を名乗っていいよ。俺は今は大掾だから『太』を名乗るからね。それとね、君の倅は外に出そう。佐竹殿はノリにノッてるぜ、話付けておくから行っといで。ちなみに諱に幹を付けていいから。この南北朝のご時世、嫡流が生き残る保証はないからね！」<br />
<br />
六代目、立原定幹(平太)<br />
「予は正統なる立原家嫡流なり。輩行名は平氏嫡男の証、平太なり！とはいっても本当に南北ヤバい。親貞(彦五郎)さんの倅、貞幹(五郎左衛門)君が佐竹殿に仕官できたみたいでよかった。」<br />
<br />
七代目、立原詮幹(平六)<br />
「真壁殿から大使役のお願いか～まいったな。まあしょうがない、真壁殿は北朝に寝返ったとのこと、北朝方の同族とも仲良くせねば。しかし我等立原家は南朝の大掾様に石川、部垂、小幡の領地をいただき、大掾詮国様より偏諱までいただいてしまった。このまま本宗家に従おう、鹿島家に内緒で。でも鹿島家にもうちの分家を潜り込ませてるから全滅は回避出来るであろう。」<br />
<br />
八代目、忠幹(六郎)<br />
「なに！禅秀様自害だと？！ヤバいな、大掾様について禅秀方についたが失敗だったか。息子は鹿島様に仕えた同胞にお願いしよう。元服しても間違っても諱に「幹」は使うな！仮名も「五」も「六」も「太」も使うなよ！<br />
あぁ、予は処刑だな。弟達よ、他郡にて家名を頼んだぞ！」<br />
<br />
そして数年。<br />
鹿島惣大行事家当主「そう言えば立原を成敗してから立原の地は治める者がおらんのー。じゃ、お前、大分前から鹿島家に仕えた家柄よの、お前が今より立原本家だ、立原常将よ。お前の息子は鹿島家に仕官せよ。」<br />
<br />
<br />
こんな感じに読み取れます。私の妄想ではありますがこうすれば辻褄が合います。<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>未選択</dc:subject>
    <dc:date>2026-09-27T19:20:24+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <dc:rights>爲清</dc:rights>
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    <title>立原家の歴史調査もai頼み①</title>
    <description>

最近ハマっているのはグーグルのaiに立原研究の相談や質問をすることです。
正直舐めてました。こんなに頼りになるとは思いませんでした。
そもそも私は歴史の知識は皆無に等しい無学スタートの先祖調査でした。最初は自分のルーツのみを探る調査でしたが、次第に自家だけ知ろうとしても大した事は分からないことに...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<a href="//tachihara.no-mania.com/File/Screenshot_20260927-162655.png" target="_blank" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1790494308/" alt="" /><br />
<br />
</a>最近ハマっているのはグーグルのaiに立原研究の相談や質問をすることです。<br />
正直舐めてました。こんなに頼りになるとは思いませんでした。<br />
そもそも私は歴史の知識は皆無に等しい無学スタートの先祖調査でした。最初は自分のルーツのみを探る調査でしたが、次第に自家だけ知ろうとしても大した事は分からないことに気付き、立原姓の方々にお尋ねするようになりました。<br />
もちろん最初は親、次に親戚、佐竹氏旧領内の立原家、江戸氏旧領内の立原家、久保田藩の立原家、鹿島氏旧領内の立原家、立原姓を変えた家、等々。その家の事を知るためにその地域の歴史を調べ、伝承を伺い、図書館や歴史館や墓地へ足を運び、家紋を追求しました。<br />
気がつけば木を見て森を見ずの大切さが身にしみましたし、一家系のみ追いかけているつもりが日本史全体を知る必要性に気付かされました。<br />
さて、前置きが長くなりましたがそこでai様のご登場です。<br />
私のような中途半端研究者が人生をかけても知り得ない情報量をaiは既に知っています。とはいっても家伝や系図などはaiの世界には無いので、そこで私が持っている超マニアックな立原ネタと、グーグルが誇る最強の情報量が融合し、新しい答えが沢山見えてきました。<br />
もちろんプライバシーに関わる事も多々ございますのでブログにはある程度しか載せられません。そして何よりあくまでも機械と私程度の人間の推論ですので、妄想の域は出ません。<br />
それでも画像にも載せました通り、ちょっとした立原家創成期の事を当時の日本や常陸国の状況から割り出す答えは信憑性も有り、本当に面白いものです。<br />
<br />
やはり鹿島氏は郡司であり兵力や城の規模もなかなかなものだと承知しておりますが、立原家はその庶子であり小領主だということが分かりますね。<br />
ちなみに70貫の根拠は立原村立原宗家の家伝であり、戦国末期や江戸時代の検知から計算しても70貫は妥当とのこと。aiスゲー。]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-09-27T17:00:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <dc:rights>爲清</dc:rights>
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    <title>千葉県の立原家の家紋</title>
    <description>
 
佐倉市に一家。こちらの「丸に花菱」を用いる立原家は初めてだったので驚きました。古い墓石には寛政の元号が確認出来るので江戸中期以前にこの地に土着したのかもしれません。いったいどんな歴史があるのでしょうか？


 
「丸に蔦」流山市に一家。こちらも立原家では初めて拝見しました。そう言えば天正の頃の...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786690323/" alt="" /><br />
<a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/GridArt_20260814_175310235.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786697805/" alt="" /></a> <br />
佐倉市に一家。こちらの「丸に花菱」を用いる立原家は初めてだったので驚きました。古い墓石には寛政の元号が確認出来るので江戸中期以前にこの地に土着したのかもしれません。いったいどんな歴史があるのでしょうか？<br />
<br />
<br />
<img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786690318/" alt="" /><a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/GridArt_20260814_175029271.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786697833/" alt="" /></a> <br />
「丸に蔦」流山市に一家。こちらも立原家では初めて拝見しました。そう言えば天正の頃の立原村で立原姓から神尾姓に改めた家もこの家紋だった気がする。何か繋がりがあるのでしょうか？<br />
ちなみにこちらの家紋の隣の墓石の家紋は「丸に剣方喰」です。<br />
<a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/GridArt_20260814_175115226.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786697826/" alt="" /></a><br />
茨城県潮来市に沢山いらっしゃいます。さいたま市岩槻にも一家。鹿嶋市にも一家。<br />
<br />
<img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786690314/" alt="" /><a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/GridArt_20260814_175205953.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786697821/" alt="" /></a> <br />
「丸に橘」千葉県柏市に一家。こちらの地域の方々は明治に入ってから東京から開拓目的で移住してきたそうです。<br />
<br />
<img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786690308/" alt="" /><a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/GridArt_20260814_175242791.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1786697814/" alt="" /></a> <br />
先程の佐倉市の丸に花菱のお隣の墓石にはこちらの「丸に茗荷」がございました。こちらの家紋は<br />
茨城県神栖市や埼玉県草加市の立原家にも見られます。同族でしょうか？しかし神栖と草加の茗荷紋の立原家の墓地は、姓の違う回りの墓石もやたら多く丸に茗荷紋だったので、もしかしたら養子や婿養子で、家や姓は継ぐけど家紋は実家のを使いたい‥‥的な理由でしょうか？それともたまたま茗荷紋が多かったのか？人気な家紋ですしね。 そう言えば秋田県士族の立原禮幹氏が和村戸長の立原平四郎氏に宛てた手紙に<br />
<br />
「貴国ニハ他家ヲ継クモノ実家ノ紋ヲ用ユル例(タ)メシ多カリシト」<br />
<br />
とあります。この事を私の立原研究に当てはめてみますと凄く納得行く事が多いです。<br />
<br />
<br />
関東で立原姓の旧家は大体が茨城県でして、少々千葉県埼玉県ってとこでしょうか。電話帳とグーグルマップで確認しますと、その他はほとんどが明治以降、特に昭和平成に入ってからの移住者かと思われます。<br />
<a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/marunidakimyouga.png" title=""><br />
<br />
</a>]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-08-14T15:57:35+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <dc:rights>爲清</dc:rights>
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    <title>鹿島惣大行事家に送られた立原命名書</title>
    <description>茨城県立歴史館で閲覧できます。
無許可でブログに内容や画像を掲載するのは禁止されておりますので、要約しますと立原家(立原村)はずっと前から鹿島家の家臣ですよ。で、立原家の当主の諱を決めたから(もしくは変えたから)よろしくね、的な内容だと思います。
ちなみにこの方は立原村の立原本家の方。

だいぶ昔に...</description>
    <content:encoded><![CDATA[茨城県立歴史館で閲覧できます。<br />
無許可でブログに内容や画像を掲載するのは禁止されておりますので、要約しますと立原家(立原村)はずっと前から鹿島家の家臣ですよ。で、立原家の当主の諱を決めたから(もしくは変えたから)よろしくね、的な内容だと思います。<br />
ちなみにこの方は立原村の立原本家の方。<br />
<br />
だいぶ昔に閲覧したのですが今更納得したことがあります。「家臣」と書いてあり、と言うことは「一門」ではないと言うこと。<br />
<br />
やはり、立原村に残された２部の系図の示す通り、橘紋の立原家とは系統が違うのでしょう。どの家の系図もですが多少の矛盾やツッコミ所が有れど、この２部の系図の共通した主張は「家祖は五郎久幹じゃないよ」と言うことと、「鹿島家の家臣ですよ」ってことでしょうか。<br />
<br />
立原村鑑の系図ですと、五郎久幹はあくまで鹿島家からの婿養子、その後の一木伊勢守(宍戸氏)の子を婿養子に入れたのと同じく重要な出来事だったでしょうけど、家祖及び、立原を初めて名乗ったのは違う人。<br />
<br />
もう１部の立原系図ですと、そもそも五郎久幹にかすってもおらず、違う氏族が15世紀中頃に土着し、名字を立原に変え、鹿島家に仕えた、と言う内容です。<br />
<br />
前者も後者も細かい内容は違えど<br />
・五郎久幹は家祖ではない<br />
・鹿島家の家臣であった<br />
・家紋は下がり藤<br />
と言うことが共通しております。<br />
<br />
<br />
私自身この答えには凄く納得しました。<br />
昔の人は名前は変えても家紋は変えるなと言っている記述も見ました。<br />
<br />
さて、そんな大切な家紋ですが、同じ名字で違う家紋も多々ございます。亀甲紋は水戸藩からの拝領の紋ですが、行方郡や那珂郡の巴紋や剣方喰紋、鹿島郡や埼玉県の茗荷紋や鷹の羽紋、秋田県士族の釘抜き紋等、まだまだ分からない事だらけです。<br />
・ルーツが違うのか<br />
・領主に拝領されたのか<br />
・落武者で名字も家紋も変えたのか<br />
<br />
ちなみに「立原」と言う小字は私が知っている以上に沢山ございまして、もしかしたらそこから名字にした立原氏もいるのかもしれません。<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-06-27T10:29:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <dc:rights>爲清</dc:rights>
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    <title>藤紋を用いる立原家の最初の人</title>
    <description>※資料掲載はダメだったようなので削除いたしました。
(茨城県立歴史館所蔵、鹿島惣大行事家文書の立原系図)

前回の記事の続きですが、例の系図を拝見する事ができました。ちなみに上の画像の系図はそちらではなく、茨城県立歴史館の閲覧室を予約すれば普通に閲覧できます。
何故新たに見付けた系図の画像ではなくこ...</description>
    <content:encoded><![CDATA[※資料掲載はダメだったようなので削除いたしました。<a href="//tachihara.no-mania.com/File/IMG_20201026_102058_copy_807x1077.jpg" target="_blank" title=""><br />
</a>(茨城県立歴史館所蔵、鹿島惣大行事家文書の立原系図)<br />
<br />
前回の記事の続きですが、例の系図を拝見する事ができました。ちなみに上の画像の系図はそちらではなく、茨城県立歴史館の閲覧室を予約すれば普通に閲覧できます。<br />
何故新たに見付けた系図の画像ではなくこちらの系図の画像かと言いますと、まず今回拝見した系図は非公開であり、現所蔵者であるお役所からもコピーや公開は厳禁だと言われております。<br />
しかしその系図は上記の画像の系図の完全版のような物でして、重なる部分はお伝えしても差し支えないと思いますのでご報告します。<br />
<br />
記された年代からの推測ですが、上杉禅秀の乱で負けた禅秀方に与していた立原家は領地没収されます。このことは郷土史等に記されております。<br />
<br />
有力な立原氏、嫡流の立原氏はここで跡絶えか、討伐隊からなんとか逃げてどこかの武家に仕えたか、姓や家紋を変え逃げ隠れたり帰農したはずです。それもそのはず、禅秀に与した鹿島庶子は足利持氏方の鹿島氏等にボコボコにされたそうです。大掾系図にも禅秀に与した鹿島庶子の系図は一代位しか記されておらず、郡司であり立原の地を領してた行方氏(小高氏？)の系図もそこら辺は途切れております。<br />
さて、恐らくは立原城及び立原地域から有力な立原氏が逃げたか帰農したのか、本家の鹿島氏の家臣になったか分かりませんが、立原の領地は烟田氏の物となりました。(立原領は行方氏が買領していた筈ですが、その後禅秀の乱までに鹿島神宮の大使役を二度も務めているので押領したのか、それとも買い戻したのでしょうか？)<br />
<br />
そしてその後、将常という人が立原村に土着します。この人物は鹿島惣大行事家の立原系図にも記されているので確かにいたのでしょう。<br />
将常の子が鹿島氏の家臣となり、代々鹿島氏に仕えるそうです。<br />
この立原氏は実は大掾一族ではなく他の平氏の末流のようです。<br />
しかしこちらの系図と立原村の立原系図で大きな矛盾ができてしまいます。<br />
一方は立原将常が室町初期に土着して、一方は平安後期に土着。共通しているのは通説の立原五郎久幹が家祖ではないこと、家紋は橘と藤では別ルーツ。]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-06-11T12:28:06+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <title>まだ見たことのない立原氏系図のありか</title>
    <description>見付けてしまいました！これも国立国会図書館のお陰であります。以前は検索しても見当たらないワードでしたが、文献を日々デジタル化していただいている様ですね。
桓武天皇から近代当主まで系図が２本。これはなんとしてでも見たいですね。しかし個人所蔵なので、今までのようにいきなりお手紙をお送りして拝見させてもら...</description>
    <content:encoded><![CDATA[見付けてしまいました！これも国立国会図書館のお陰であります。以前は検索しても見当たらないワードでしたが、文献を日々デジタル化していただいている様ですね。<br />
桓武天皇から近代当主まで系図が２本。これはなんとしてでも見たいですね。しかし個人所蔵なので、今までのようにいきなりお手紙をお送りして拝見させてもらうのはかなり難しいかと思います。<br />
本日より作戦を練りに練ってお願いしたいと思います。]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-05-02T12:41:52+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <dc:rights>爲清</dc:rights>
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    <title>家祖、立原五郎平久幹はいつ立原城へ行ったか</title>
    <description>先日ブログに載せました国立国会図書館デジタルアーカイブの岩手村立原音吉の文献をよくよく見てみましたら立原五郎久幹は建久の頃(1190～1199)に立原城に居住し氏としたとあります。そもそも立原城に住む前は鹿嶋五郎と名乗っていたでしょう。
そこでですが、「鹿嶋誌」という文献には治承四年(1180)に立...</description>
    <content:encoded><![CDATA[先日ブログに載せました国立国会図書館デジタルアーカイブの岩手村立原音吉の文献をよくよく見てみましたら立原五郎久幹は建久の頃(1190～1199)に立原城に居住し氏としたとあります。そもそも立原城に住む前は鹿嶋五郎と名乗っていたでしょう。<br />
そこでですが、「鹿嶋誌」という文献には治承四年(1180)に立原四郎の名前が見えます。ということは五郎久幹が立原姓になる前に立原氏は居た事になります。<br />
立原村の古文書、立原村鑑によると立原平四郎が立原五郎を養子に迎えたとあります。<br />
大掾一族の五郎久幹を立原姓の家祖とする風潮がありますが、名字発祥と考えると立原久幹が立原城に来る前から「立原」の地名はあったでしょうし、それを苗字とした人達も当然いると思います。<br />
立原村及び城に住んでいた一族、領主の鹿嶋氏から来た五郎久幹を立原本家の婿養子とした。<br />
もとからの立原一族と大掾系の立原氏の違いは家紋でアピールじゃないかと思ってます。<br />
立原家に限らず鹿嶋地域の墓地を拝見いたしますと藤紋が多かった気がします。お墓あるあるでしてその地域に住む人達は姓が違えど家紋は同じというのがよく見られます。<br />
県北に藤紋立原家は見られず橘紋と拝領紋(亀甲紋)ばかりですが、水戸ですと藤と橘は3:7位でしょうか。鹿嶋郡ですとほとんど藤、橘紋や他の紋もありますが藤紋が多いと思います。<br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-04-25T18:46:42+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
    <dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
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    <title>岩手村の立原家</title>
    <description>

(国立国会図書館デジタルアーカイブより引用)

国会図書館には本当に助けられております。まさか岩手村の事が記されている文献が、活字化されている文献があったなんて嬉しすぎです。

理論的には名字が立原で家紋が橘ならば家祖は立原五郎平久幹となりますが、多くのの立原さん達は本家を訪ねても家祖に繋がる家...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/Screenshot_20260422-181233_copy_356x633.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1776984039/" alt="" /><br />
</a><a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/Screenshot_20260422-181328_copy_356x633.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1776984040/" alt="" /></a><br />
(国立国会図書館デジタルアーカイブより引用)<br />
<br />
国会図書館には本当に助けられております。まさか岩手村の事が記されている文献が、活字化されている文献があったなんて嬉しすぎです。<br />
<br />
理論的には名字が立原で家紋が橘ならば家祖は立原五郎平久幹となりますが、多くのの立原さん達は本家を訪ねても家祖に繋がる家系図はおろか、言い伝えすらありません。しかし江戸時代の岩手村の立原家にはちゃんと伝わっていたようですね。<br />
岩手村をルーツとする立原さんに以前お話を聞かせていただきました。プライバシーに関わる事以外のブログに載せても差し支えのない内容とネット情報と私の研究を合わせますと、岩手村の立原家は700年以上前よりこの地に移住した草分けだそうです。<br />
天正期の佐竹家臣録にも「立原掃部」の名を載せてます。家紋は丸に根の有る橘紋です。一般では三つ足橘と云いますが、茨城県の立原家では根有り橘と云うこともあります。<br />
上記の「立原音吉」という人が有名です。<br />
<br />
<br />
私が知る限りではありますが立原久幹を家祖とする系図や言い伝えのある立原家は、<br />
・立原村<br />
・小幡村<br />
・岩手村<br />
・野上村<br />
・栗崎村<br />
・柏井村(名字は変えています)<br />
・秋田の小野岡氏の家臣<br />
<br />
羨ましい限りです。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-04-25T07:16:26+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <title>埼玉県草加市の立原家</title>
    <description>家紋は茗荷紋でした。
さて、鹿島郡の茗荷紋立原家とは繋がりはあるのでしょうか？本家筋の墓誌には享保からの戒名が記されております。察するに江戸初期中期より常陸より武蔵に移住したのかと存じます。それとも戦国時代から来ていたのかは墓誌からは分かりません。

さて、真実を知るにはお手紙か一番です。ここ一年位...</description>
    <content:encoded><![CDATA[家紋は茗荷紋でした。
<div>さて、鹿島郡の茗荷紋立原家とは繋がりはあるのでしょうか？本家筋の墓誌には享保からの戒名が記されております。察するに江戸初期中期より常陸より武蔵に移住したのかと存じます。それとも戦国時代から来ていたのかは墓誌からは分かりません。</div>
<div></div>
<div>さて、真実を知るにはお手紙か一番です。ここ一年位サボっておりましたが気になる立原各家にアンケートレターを差し上げたいと存じます。どうかご協力のほどお願い申し上げます。</div>]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-04-06T18:33:08+09:00</dc:date>
    <dc:creator>爲清</dc:creator>
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    <title>立原のふりがな</title>
    <description>&amp;amp;nbsp; 
(江戸後期の丹波地方の立原氏。国立国会図書館デジタルアーカイブより引用)



&amp;amp;nbsp;長野県、たてはら(地名)

川越市、たちはら(人名)

広島県、たつはら、たちはら(人名)

島根県、たちばら(地名、人名)

埼玉県寄居町、たてはら(地名)

京都市、たてはら、たつわら(地...</description>
    <content:encoded><![CDATA[<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;<a target="_blank" href="//tachihara.no-mania.com/File/Screenshot_20260405-023819.png" title=""><img src="//tachihara.no-mania.com/Img/1775531966/" alt="" /></a> <br />
(江戸後期の丹波地方の立原氏。国立国会図書館デジタルアーカイブより引用)<br />
<br />
<br />
</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;長野県、たてはら(地名)</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;"></p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">川越市、たちはら(人名)</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;"></p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">広島県、たつはら、たちはら(人名)</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;"></p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">島根県、たちばら(地名、人名)</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;"></p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">埼玉県寄居町、たてはら(地名)</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;"></p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">京都市、たてはら、たつわら(地名、人名)</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;本当はもっと地名で有ると思います。小字にもならない、中世や古代の</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;狭い地域に有ったはずです。メジャーな立原の地名から苗字になったのは常陸鹿嶋の立原、丹波の立原しか知りません。そこで気になる島根の立原は人名から地名になったと言われております。尼子氏家臣の立原源太兵衛の一族です。しかし何故立原という苗字を付けたのでしょうか？</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;私の仕入れた情報の間違いで島根の立原地区は中世以前より立原という字だったのか。もしくは丹波や常陸の立原氏が婿養子に入ったのか。とある情報によると常陸より出雲に行った立原がいると聞きましたが、ちょっと思い出せません。すみません。</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;しかし江戸時代に出雲から常陸に来て水戸藩に仕えた立原氏はいます。立原氏では有名な立原久大(源太兵衛)の先祖です。</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;もし広島の立原家が藤紋でしたら鹿嶋立原家から出た可能性は有ります。鹿嶋立原村の立原系図によると紀州に移った立原家廣(平五郎)がいるそうです。その一族の可能性は有りますね！</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;それと、常陸大宮市旧部垂には近畿から来たという家伝のある立原氏がいます。</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;とにかくお伺いしないと始まりません。</p>
<p dir="ltr" style="line-height: 1.38; margin-top: 0.0pt; margin-bottom: 0.0pt;">&nbsp;全国の立原様、どうかご協力のほどお願い申し上げます。</p>]]></content:encoded>
    <dc:subject>研究、調査等</dc:subject>
    <dc:date>2026-04-06T17:36:12+09:00</dc:date>
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