茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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(茨城県立図書館より引用)
(茨城県立歴史館より引用)
さて前者は明徳三年頃に部垂村(茨城県大宮)を知行していた立原刑部です。この時はまだ部垂は大掾氏の縄張りのようです。
後者は部垂村の郷士となった立原家の先祖です。時期は父の立原修理亮が応永23年に亡くなっているのでその時期の人でしょう。
前者と後者に少し時間のズレはありますがいかがでしょうか?
ちなみに「刑部少輔」は立原氏の中では最高武家官位では?小幡の立原式部少輔と並ぶレベルだと思いました。
しかも立原刑部少輔は主君である佐竹義盛から養子をもらっています(妾の子?)。この官位は納得ですね。それ以降こちらの立原家は源氏を名乗り(後に戻す)、替え紋は佐竹氏と同じ物を用いていたそうです。
こちらの立原家の先祖子孫は「雅楽亮」「筑後守」の官名が多く、世襲だったのでしょう。
そこで気になる佐竹義治の家臣で、四殿衆と称された者に「立原筑後」がいます。しかしこちらの立原筑後は部垂立原の系図には見えず、それどころかどの文献にも立原筑後の流れは確認できません。絶家してしまったのでしょうか?
私の知らない立原家がまだ沢山あると信じてこれからも追求していきたいです。
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