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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
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プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
P R
憶測で恐縮ですが、『根なし橘』は室町時代からの呼び名で、『根なしの橘』は江戸時代に『根なし橘』一族から分家して、デザインも本家に計らい、久世橘→橘にしたのかと妄想しました。たかが『の』ですが、今のところ『の』が付くと丸に橘になります。

もう1つ妄想ですが、『根なし橘』『根有り橘』の呼び名は佐竹家臣&その後帰農したグループのみの呼び名かと。

家臣団のメインは佐竹氏ですが、江戸氏に仕えた『三盛亀甲』紋立原氏、大掾氏に仕えた一族、鹿島氏に仕えた一族、等々色々いるはずです。

旧家の『三つ足橘』立原氏は『根有り橘』とは呼びませんでした。750~800年前に土着した常陸太田市の旧家です。
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『根なしの橘』のネーミングの由来を何通りか考えてました。
1、家紋研究家の方からのご教示で、根のある橘紋の対比でこの名前になった。

2、僕の家系のの二代目から五代目まで立花を名乗っていたため「仮の名字は立花だけどルーツは違うよ」という感じ。

3、本家は本百姓で当家は江戸中期に足軽になりました。その土地に根付いた本家に対してあっちこっちに派遣される水戸足軽…故になのか。

どうやら1なのかと思いはじめました。
何故かと言いますと、まず水戸市某地区と常陸太田市某地区の立原家は「三つ足橘」や菊座橘の足付き、普通の橘に足付き等の家紋が多数見受けられたからです。
地域にもよりますが「足付き」は「根付き」とも言うそうです。
そしてなにより常陸大宮市某地区の橘紋の立原様から御自分の家は「根なしの橘」だと伺いました。鳥肌がたちましたね。五年近く調べても、どの家紋辞書にも文献にも記されてなかったこの五文字が出てくるなんて。
この方の御先祖様は文献、郷土史等に載っておりまして、立原氏の中では有名です。

僕の本家と戦国時代、江戸初期の由緒も同じです。もし同家だとしたらそれら「根付き橘」一族からの分家なのでしょうか?
とにかく根付き橘の一族から聞いてみるしかありませんね。
橘紋の立原氏を探してみるとメジャーなのが常陸大宮の立原氏、マイナーな私の家系の立原氏、その他橘紋はあっちこっちにいるみたいです。
文献に載ってるのは常陸大宮の立原氏で、山方町の郷土史、その他多数の文献に記されておりますがwikiには載ってません。wikiには『丸に三つ盛り亀甲に花角』の一族が載ってます。
水戸黄門様が佐竹旧臣を郷士にした二家の立原氏も三つ盛り亀甲です。元佐竹氏家臣と元江戸氏家臣。そして立原で一番有名な水戸藩士、立原翠軒公も三つ盛り亀甲です。
では、その一族の総本家は?と言いますと、私の浅はかな読みですと旧江戸氏家臣、後に50石の郷士の家系ではないでしょうか?戦国時代期の給料もダントツですし、現当主の方に見せて頂いた古文書に立原城を出て、分家した最初の三つ盛り亀甲立原氏の名前(諱)も記されておれましたし。


さて、橘紋の立原氏はどうでしょうか?まだまだわからない事だらけです。
とりあえず戦国時代の文献には『丸立花』と記されており、常陸大宮市もひたちなか市も本家筋は『菊座橘』『久世橘』が主流みたいです。
私の本家は久世橘でして、そういえば久世橘には足(根)のある『三つ足橘』があります。故に久世橘には根が無い、すなわち『根なしの橘』なのか?と思いましたがどうでしょうか?私の家系の家紋は祖父の代ではネーミングこそ根なしの橘でしたがデザインは普通の『丸に橘』です。古い墓石には家紋が刻まれていない事はよくあると思います。曾祖父や高祖父やその前のじいさんは婿養子なのでよく分からなかったのかな?

これから橘紋の立原家を探し、由緒、言い伝え等を伺っていきたいと思います。

『根なしの橘』という家紋をご存知でしょうか?

僕が小さい時に父から聞いたのがたしか初めてで、僕の家系の家紋だそうです。

当時は全く興味もなく、先祖は水戸の足軽だったと言い伝えられてましたが僕も父も興味がなく時は過ぎていきました。
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