茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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先日ブログに載せました国立国会図書館デジタルアーカイブの岩手村立原音吉の文献をよくよく見てみましたら立原五郎久幹は建久の頃(1190~1199)に立原城に居住し氏としたとあります。そもそも立原城に住む前は鹿嶋五郎と名乗っていたでしょう。
そこでですが、「鹿嶋誌」という文献には治承四年(1180)に立原四郎の名前が見えます。ということは五郎久幹が立原姓になる前に立原氏は居た事になります。
立原村の古文書、立原村鑑によると立原平四郎が立原五郎を養子に迎えたとあります。
大掾一族の五郎久幹を立原姓の家祖とする風潮がありますが、名字発祥と考えると立原久幹が立原城に来る前から「立原」の地名はあったでしょうし、それを苗字とした人達も当然いると思います。
立原村及び城に住んでいた一族、領主の鹿嶋氏から来た五郎久幹を立原本家の婿養子とした。
もとからの立原一族と大掾系の立原氏の違いは家紋でアピールじゃないかと思ってます。
立原家に限らず鹿嶋地域の墓地を拝見いたしますと藤紋が多かった気がします。お墓あるあるでしてその地域に住む人達は姓が違えど家紋は同じというのがよく見られます。
県北に藤紋立原家は見られず橘紋と拝領紋(亀甲紋)ばかりですが、水戸ですと藤と橘は3:7位でしょうか。鹿嶋郡ですとほとんど藤、橘紋や他の紋もありますが藤紋が多いと思います。
そこでですが、「鹿嶋誌」という文献には治承四年(1180)に立原四郎の名前が見えます。ということは五郎久幹が立原姓になる前に立原氏は居た事になります。
立原村の古文書、立原村鑑によると立原平四郎が立原五郎を養子に迎えたとあります。
大掾一族の五郎久幹を立原姓の家祖とする風潮がありますが、名字発祥と考えると立原久幹が立原城に来る前から「立原」の地名はあったでしょうし、それを苗字とした人達も当然いると思います。
立原村及び城に住んでいた一族、領主の鹿嶋氏から来た五郎久幹を立原本家の婿養子とした。
もとからの立原一族と大掾系の立原氏の違いは家紋でアピールじゃないかと思ってます。
立原家に限らず鹿嶋地域の墓地を拝見いたしますと藤紋が多かった気がします。お墓あるあるでしてその地域に住む人達は姓が違えど家紋は同じというのがよく見られます。
県北に藤紋立原家は見られず橘紋と拝領紋(亀甲紋)ばかりですが、水戸ですと藤と橘は3:7位でしょうか。鹿嶋郡ですとほとんど藤、橘紋や他の紋もありますが藤紋が多いと思います。
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