茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
最新記事
(05/15)
(05/10)
(02/21)
(02/21)
(02/20)
P R
家紋、三つ盛亀甲の立原氏の総本家らしき方にお手紙をお出ししましたら、親切丁寧にご返事、ご教示頂きました。
どの文献にも掲載されていない(多分です)三つ盛り亀甲の立原氏の祖、すなわち当時の立原城主の子の名が記されており大変驚きました。
プライバシー的にあまり詳しく記述できませんが、この方の家系は鎌倉時代に立原城を出て、戦国時代には江戸氏の家臣です(Wikipediaにも載ってます)。江戸時代初期は帰農し、徳川光國公により郷士になります。幕末の水戸藩の名簿にも掲載されており、明治に入り士族に。現当主の方も大変立派な方で茨城県の紳士録(人名録?)にも掲載されておりました。
三つ盛亀甲の立原氏は常陸太田市にも本家筋がありましてどちらが本家かわかりません。
立原翠軒公、立原道造氏も三つ盛亀甲ですが亀甲紋の中が『花』だけでなく『平』『東』と刻まれております。故にどちらかの分家かと思われます。翠軒公の本家が『茨城県民のルーツ』という本に掲載されてました。翠軒公は立原家の中で一番メジャーなのでWikipediaにも角川地名辞典にも系図が載ってます。
きっとまだまだ立原氏の情報を持っている方々が茨城県と秋田県にはいるかと思われます。もっともっと追求していきたいですね。
どの文献にも掲載されていない(多分です)三つ盛り亀甲の立原氏の祖、すなわち当時の立原城主の子の名が記されており大変驚きました。
プライバシー的にあまり詳しく記述できませんが、この方の家系は鎌倉時代に立原城を出て、戦国時代には江戸氏の家臣です(Wikipediaにも載ってます)。江戸時代初期は帰農し、徳川光國公により郷士になります。幕末の水戸藩の名簿にも掲載されており、明治に入り士族に。現当主の方も大変立派な方で茨城県の紳士録(人名録?)にも掲載されておりました。
三つ盛亀甲の立原氏は常陸太田市にも本家筋がありましてどちらが本家かわかりません。
立原翠軒公、立原道造氏も三つ盛亀甲ですが亀甲紋の中が『花』だけでなく『平』『東』と刻まれております。故にどちらかの分家かと思われます。翠軒公の本家が『茨城県民のルーツ』という本に掲載されてました。翠軒公は立原家の中で一番メジャーなのでWikipediaにも角川地名辞典にも系図が載ってます。
きっとまだまだ立原氏の情報を持っている方々が茨城県と秋田県にはいるかと思われます。もっともっと追求していきたいですね。
PR
この記事にコメントする