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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
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プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
P R
昔はよく火事がありました。
僕が江戸時代以降の御本家の方々に伺いましたところ、丸に橘紋(佐竹氏家臣)の常陸大宮市住まいの立原家の家系図は明治頃には確かにあったそうです。しかしいつの間にか無くなってしまったそうです。文献にもよく載っているメジャーな立原家ですが何故かWikipediaにはまだ載ってません。

次に、ひたちなか市の僕の本家のお隣さんの本家の当主の方から御教示頂きました。家紋は常陸大宮市の家紋と全く同じです(丸に菊座橘)。何代か前に火事により、家系図、古文書類は燃えてしまったそうです。家紋も由緒も常陸大宮市の本家と同じです。きっと江戸時代に入り、佐竹氏についても行けず、かといって常陸大宮市の本家の土地にもいられず、戦友の鴨志田氏を頼ってひたちなか市で農となったのでしょうか?

ちなみにですが、なんの証拠もなく憶測でありますが常陸大宮市の立原氏とひたちなか市の立原氏を同族と推測するのには訳があります。
まず由緒が同じ。佐竹氏家臣後帰農。

次に家紋がまったく同じ。どちらが上か下かわかりませんが菊座橘と久世橘が見受けられます。しかし本家分家共に時代の流れ、興味の無さからでしょうか、現在は皆『丸に橘』になっていってる気がします。


次に先日もご紹介しましたが三つ盛り亀甲の立原本家です。やはり古文書類が燃えたか無くなったかで江戸後期に改めて由緒を書いてます。
ということは当時の当主は由緒等を記憶していたのでしょうね。



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