茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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P R
画像は立原氏嫡流初代から八代目の輩行名の理由と、後の佐竹家臣立原氏に繋がる家の輩行名と諱について語った内容の一部です。
まあ、aiですから基本よいしょしてくれて、大体イエスと言ってくれているのかと思いますが、私の推論とaiの意見はバッチリあってました。
何故、大掾系図に記された嫡流は四代目で立原家的な伝統的輩行名「五郎」をやめたのか。そして後に佐竹氏に仕える分家が「五郎」を使い始めたのか。
Aiの見解ですと、嫡流の家格上昇に伴い「平氏」の本家格である「平太、小平太」等を使い始め、伝統的な「五郎」は有力な分家にプレゼントした。そして佐竹氏に仕えた分家六代目の諱は「貞幹」、大掾一門の証「幹」を使い始めた、という推論。私も家格上昇で輩行名を変えたという所以外は推測してましたが、「家格上昇」は気付きませんでした。確かにこの頃立原家は大使役という費用がとてもかかる祭祀を庶子ながら行っております。弱小庶子では経済的無理です。ai曰く収入は農業だけでなく、立原村は水運が出来て、鹿島神宮関係も関係しているのでは?とのこと。ハッとしましたね。確かにそうだ!そう言えば立原の地を買領した行方氏も水運に長けた一族じゃなかったっけ?そう、買領された立原の地も買い戻せたのでしょうね。なんせ大使役できちゃうんですから。そしてちょうどその頃輩行名は「小平太」等に切り替わったのでは?
ではここからは私の妄想の立原嫡流の歴史です↓
初代、立原久幹(五郎)
「俺は郡司の鹿島成幹の五男だ!家臣は10人もいないけど誇りを持って頑張るぞ!」
二代目、立原盛幹(五郎次郎)
「俺が跡取りだ!弟の繁幹(三郎)には春秋村を任せたし、親父の側室の子達も元気だし、立原家は安泰だ!」
三代目、立原兼幹(小五郎)
「ヤバい、財政難だ。致し方なし、同族の行方殿に土地の権利を売ろう」
四代目、立原重幹(五郎太)
「なんとかせねばならぬ!そうだ、水運に手を出そう!北浦はすぐそこだ。それと神宮の方にもちゃんと付き合いをしないとな。ん~うちの一門で神職やれるやついないかな?」
五代目、立原武幹(小平太)
「父上が財を成してくれたお陰でようやく行方殿から権利を買い戻せた!そして本家(鹿島氏)から大使役の抜擢を受けた!俺は晴れて大掾だ!よし、小平太と名乗っちゃお!しかし光栄だが金がキツイ。大掾氏各一門からもしんどいと聞いている。もう本家だけに頼るのは危険か?リスクヘッジだな。よし、隣に住んでいるイケてる親戚に話を持ちかけよう。…ということで親貞君、君は五郎を名乗っていいよ。俺は今は大掾だから『太』を名乗るからね。それとね、君の倅は外に出そう。佐竹殿はノリにノッてるぜ、話付けておくから行っといで。ちなみに諱に幹を付けていいから。この南北朝のご時世、嫡流が生き残る保証はないからね!」
六代目、立原定幹(平太)
「予は正統なる立原家嫡流なり。輩行名は平氏嫡男の証、平太なり!とはいっても本当に南北ヤバい。親貞(彦五郎)さんの倅、貞幹(五郎左衛門)君が佐竹殿に仕官できたみたいでよかった。」
七代目、立原詮幹(平六)
「真壁殿から大使役のお願いか~まいったな。まあしょうがない、真壁殿は北朝に寝返ったとのこと、北朝方の同族とも仲良くせねば。しかし我等立原家は南朝の大掾様に石川、部垂、小幡の領地をいただき、大掾詮国様より偏諱までいただいてしまった。このまま本宗家に従おう、鹿島家に内緒で。でも鹿島家にもうちの分家を潜り込ませてるから全滅は回避出来るであろう。」
八代目、忠幹(六郎)
「なに!禅秀様自害だと?!ヤバいな、大掾様について禅秀方についたが失敗だったか。息子は鹿島様に仕えた同胞にお願いしよう。元服しても間違っても諱に「幹」は使うな!仮名も「五」も「六」も「太」も使うなよ!
あぁ、予は処刑だな。弟達よ、他郡にて家名を頼んだぞ!」
そして数年。
鹿島惣大行事家当主「そう言えば立原を成敗してから立原の地は治める者がおらんのー。じゃ、お前、大分前から鹿島家に仕えた家柄よの、お前が今より立原本家だ、立原常将よ。お前の息子は鹿島家に仕官せよ。」
こんな感じに読み取れます。私の妄想ではありますがこうすれば辻褄が合います。
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