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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
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プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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家紋が生まれる前から橘は朝廷より尊い物として扱われていたそうです。
やがて平安時代に貴族が家紋の原型的な物を用い始め、鎌倉時代に武家に家紋ブームやって来て鎌倉中期にはどの武家も家紋持っていたそうですね。
ではいつ橘は家紋になったのでしょうか?
橘紋を用いたであろう橘氏の嫡流は跡絶え、分流が江戸時代に梅宮大社を建てたと聞いております。紋は京橘ですが少しデザインが違います。

常陸平氏の真壁氏は鎌倉初期には家を興しており、橘を用いてます。井伊家や久世家より橘を用いたのは古いかもしれません。拙ブログ的に言うと真壁氏は江戸橘です。一般的な表現ですと「丸無し久世橘」となるのでしょうか。しかし昔はこれをただたんに「橘」と云ってました。

で、私の推論で恐縮ですが、橘の元となったデザインは果実の中のデザイン(丸や筋)が無いシンプルな橘がスタートではないでしょうか?
京橘より江戸橘のデザインが恐らくは先でしょう。何故かと言いますと、古い紋帳や古い着物の資料や江戸時代の武鑑を見ても京橘は…今のところ発見できてません。しかし明治になり、あっという間に紋帳は京橘だらけになり、今や橘といったら京橘です。
下記の画像が橘紋の原型ではないかと思います。
(一円玉は近代のものです)

(国立国会図書館デジタルアーカイブより引用)
(楽天市場様より引用)
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