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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
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プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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新編常陸国史には立原について七代記しております。中世の立原にも様々な系図がありますが、水戸藩よりお墨付きの立原系図はこちらの様です。故にウィキペディアでもこの系図が紹介されています。
立原の地は元は立原氏の物だった様ですが、鎌倉時代に同族の常陸平氏の行方氏が立原領地を買ったり、禅秀の乱(1416年)の後には同族の烟田氏が支配してます。
ようするに初代と二代目以降の立原の地は、住んでいて立原城を管理してはいるけど、その時の領主に上納金を払っていたのかと私は思います。半分侍半分百姓的な。一応は鹿島六頭の一角との情報もありますので、本家の鹿島氏及び鹿島神宮にも貢いでいたのでしょうか?
そして記されている最後の城主の立原詮幹。その子供や子孫が気になります。詮幹の時代は南北朝時代と察することができます。ちょうどこの頃に他の立原系図でも立原城を出ていく人が見られます。
立原詮幹の子供の一人は後の小幡立原の祖となる人もいます。
そしてこの度ぶったまげる系図を発見いたしました。立原詮幹の子孫で中世鹿島地区に残った立原氏の系図です。筋で言ったら嫡流ですね。かなりの名家の家柄と存じます。
しかしまだ当主の方にアポがとれていませんので公開は控えたいと思います。


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