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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
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プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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(ヤフオクより引用。昔の彦根橘のようです。)
まだまだ分からない事だらけですが、わかる範囲で常陸立原家の橘紋についてまとめてみます。

そもそも家紋はシンプルデザインから始まり、分家により変化していくという事を考慮しますと、800年前の立原家橘紋は真壁氏と同じく「橘」(江戸紋、明治になり久世橘と呼ばれる)であり、600年前頃に南北朝や禅秀の乱が起こり、立原の血筋を残すためか、節操が違うためか、食いぶちのためか分かりませんが、佐竹氏に仕える者、大掾氏に仕える者、今のまま鹿嶋氏に従う者に分かれようです。
そのタイミングで橘紋に「根(足、台)」を加えたのでしょうか?

なんせ明治時代に入り、京都家紋マニア集団により家紋は統一されましたし、立原の総本家筋の家々は水戸藩より三盛亀甲紋を拝領し、立原村の立原家は元々「下がり藤」です。

橘紋で一番古いのはやはり秋田立原家ですね。
子孫の方々にアプローチしたいと思います。
しかし茨城立原ミステリーは常陸岩手町にもあります。なんと南北朝争乱期より前に土着してるようです。その御紋は「丸橘」であり根有りです。

今のところ丸の無い立原氏の家紋は秋田立原家のみです。やはり900年一度も百姓を経験しておらず、ずっと武家だったのは秋田藩士の立原家だけです。
丸が無いのは創成期からの紋所だと思われます。

次回は立原村の立原について書きたいと思います。

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