茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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間違いなく江戸初期までは武士から農民から町人まで自家の紋はわかっていたはずです。
やはり長い長い江戸時代の間に基本となる立原家の定紋も、分家を繰り返し、また分家間でも違いを出すためにオリジナル橘をデザインしたのかもしれません。
そして家紋革命が明治時代に訪れます。京都の家紋関係を生業とする人達が日本全国の多種多様の家紋をある程度まとめる運動をしたそうです。
そして関東の橘紋の基本中の基本デザインの橘は大名の久世家が用いていたためか、「久世橘」と命名されたようです。
橘紋で一番有名な井伊氏も「彦根橘」等と呼ばれるようになりました。多分ですが、井伊家の家紋は紋帳にもよりますが初期は「江戸橘紋」であり、江戸時代に入り、あの変わった橘になったんだと思います。
とにかく明治以降の茨城県橘紋の立原家は家紋がぐちゃぐちゃです。今はほとんどの家が「京橘」になってしまってますが、ちょっと前の世代の墓石にはかなり迷いのある橘紋が見受けられます。
さてさて、私が追い求めております、900年前の元祖立原家橘紋はいったいどんな家紋だったのでしょうか。
やはり長い長い江戸時代の間に基本となる立原家の定紋も、分家を繰り返し、また分家間でも違いを出すためにオリジナル橘をデザインしたのかもしれません。
そして家紋革命が明治時代に訪れます。京都の家紋関係を生業とする人達が日本全国の多種多様の家紋をある程度まとめる運動をしたそうです。
そして関東の橘紋の基本中の基本デザインの橘は大名の久世家が用いていたためか、「久世橘」と命名されたようです。
橘紋で一番有名な井伊氏も「彦根橘」等と呼ばれるようになりました。多分ですが、井伊家の家紋は紋帳にもよりますが初期は「江戸橘紋」であり、江戸時代に入り、あの変わった橘になったんだと思います。
とにかく明治以降の茨城県橘紋の立原家は家紋がぐちゃぐちゃです。今はほとんどの家が「京橘」になってしまってますが、ちょっと前の世代の墓石にはかなり迷いのある橘紋が見受けられます。
さてさて、私が追い求めております、900年前の元祖立原家橘紋はいったいどんな家紋だったのでしょうか。
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