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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
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プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
P R
電話帳を見れば分かりますが『立原』が多いのは水戸市飯島町です。
共同墓地を伺いますと全て『橘』の紋。
しかも『根』があります。

後日水戸市飯島町のほぼ全世帯(立原さん)に手紙を送りました。不躾なお願い事にわざわざ返事をくださる親切な方がいらっしゃいました。
ありがとうございます。

その方がおっしゃるには
『飯島町の立原の家紋は、菊座橘、台座橘(根有橘)、久世橘(根無し橘)』が基本のようです。

常陸大宮市野上以外でも『根無しの橘』紋がございました。

そしてご教示頂きました内容から色々推測できます。
常陸大宮市野上の本家かと思われる墓石には『菊座橘』と『久世橘』。
私の江戸中期の本家(ひたちなか市東石川)も大正期の墓石は『久世橘』でして、お隣の地主立原氏は菊座橘でした。

野上も東石川も佐竹氏の国替で帰農しますが、常陸太田市の岡田町、岩手町の『橘』紋一族はどうなのでしょうか?
そして水戸市下大野町の立原さんは全て『菊座橘』でした。
ちなみに『茨城県人名録』の下大野の立原氏によりますと立原城から出て帰農したと書いてありましたが、色々なパターンがありまして、帰農の時期も断定する事は難しいかと思います。
とにかく下大野の立原様方にお手紙したいと思います。
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コメント
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大事な情報ありがとうございます
私、髙橋良介は1985年産まれで
和歌山に産まれました。
父が早死にし、祖父は真言宗で
弔いましたが、墓の家紋はいわゆる
「根無し橘」でした
幼い私は不思議に思いました
父の無念から、自身のルーツを辿り
大人になって
市役所から戸籍謄本を取った所

明治42年の宮城県 刈部郡 小田原村
が最初の髙橋の祖先でした。

何があったかは今も研究中ですが、
根無し橘の情報をありがとうございました
髙橋良介 2021/09/26(Sun)14:33:39 編集
高橋良介様、大変失礼いたしました
たった今、四年もたちました今、コメントに気付きました。大変申し訳ありません。

『根無し橘』には立原氏だけでなく、橘紋を用いる家には家の分別のため『根』を用いたり『筋』を増やしたり減らしたりするみたいです。
橘紋の『根』に関しては難しくて、京都(関西)と江戸(関東)で解釈が違うように感じます。

明治頃までは関東で菊座橘は根(台座)がセットでして、

関西では三井寺は根(台座)の有る菊座橘でして、池坊は根無し橘というそうです。

基本はノーマル橘ですが、後に根や台座や足、筋を菊座にしたり筋を増やしたり減らしたりしたのかと思います。
そのノーマル橘も江戸紋と京紋がありまして、どちらが古いかはまだわかりません。
爲清 2023/04/26(Wed)19:38:53 編集
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