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茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
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プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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最も
知られている立原氏の系図は大掾系図と常陸国誌に記載されているものだと思います。Wikipediaにもそれが載っています。
しかしこの二つを見比べると大掾系図の立原は六代、常陸国誌の立原は七代記されており、常陸国誌の方の六代目が大掾系図の方には載ってません。
①久幹(五郎)

②盛幹(五郎次郎)

③兼幹(小五郎)

④重幹(五郎太)

⑤武幹(小平太)

⑥詮幹(平六)
もしくは
⑥定幹(平太)

⑦詮幹(平六)

憶測でありますが定幹(平太)と詮幹(平六)は兄弟だったんじゃないかと推測してます。
詮幹は息子と共に立原城を出ていきます。南北朝時代の事です。宗家の大掾氏も本家の鹿島氏も悩みに悩んでいた南北事情ですので、分流の立原家も北朝についた者、南朝についた者等、各立原家の系図にも見受けられます。
何より詮幹の子孫の立原家文書を拝見いたしますと初代久幹より七代の孫が詮幹の子の様なので、やはり詮幹と定幹は兄弟のような気がします。
大掾氏家臣となった立原家ゆえに、大掾系図には六代を記し、大掾家にとっての立原は詮幹の子孫で、兄弟の定幹は記されないのでしょうか。
そういえば詮幹の子孫の立原家は江戸時代に水戸藩より優遇されておりましたが、全立原氏の嫡流を名乗っておりません。
ちなみに墓石や文書で嫡流を記載している立原氏は、
茨城町長岡
水戸市(顕幹流)
鹿嶋市小字立原(平貞盛の子孫)

ということは六代定幹(平太)の子孫は長岡か?
しかしこちらにはお手紙をしましたが返答無しでありまして真相は闇です。

ちなみに嫡流の通称に使われる名前は
『◯太』
『◯◯太』
『太郎◯◯』
『小◯◯』
『弥◯◯』
『又◯◯』
等あるそうで、やはり南北朝時代で代々嫡流ネームの立原家が突然
平六が嫡流とは疑問がわいてきます。

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