茨城県の立原氏を趣味で研究しております。
プロフィール
HN:
爲清
性別:
男性
職業:
型枠工務店の会社員
趣味:
先祖調査、親戚探し、立原氏の文献探し
自己紹介:
趣味で立原氏の歴史、家紋の研究を行っております。
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==立原氏の家紋==
☆橘紋☆
※根有=根の有る橘紋の図柄
丸に菊座根橘、丸に三つ足橘、その他色々。
※根無=根の無い橘紋の図柄(普通の橘はこれ)
丸に橘、丸に菊座橘、丸に久世橘、その他色々。
●ひたちなか市東石川=根無
旧家は二軒。「根無しの橘」と呼ぶ家も有ります。
江戸氏、佐竹氏に仕え後に帰農。
●秋田県士族立原家=根無
佐竹家旧臣。立原家の中では最初に佐竹家に仕えたとされております。
紋は「立花」と云います。丸の無い橘紋は私が知る限りこちらの家のみ。橘紋をあしらう立原家ではおそらく最も古いと思われます。
●ひたちなか市津田=根無
●常陸太田市岡田町=根無
佐竹氏家臣。後に百姓、村役人等。
●常陸太田市亀作町=根無
岡田町立原家と同族かと思われます。
●常陸大宮市岩手町=根有
700年以上前から土着とのことなので、立原城を離れ、村を開拓した立原家では最も古い。
幟(今で云う鯉のぼり)を上げない風習のことから落武者の可能性有り。
●水戸市鯉淵=根無
●水戸市高田=根有(根が二本)
●水戸市飯島=根有、根無
「根無し橘」「根有橘」と云います。
最も多くの立原姓が居る地域です。
●水戸市飯富=根無
●茨城町長岡=根有
●小美玉市柴高=根有、根無
●笠間市下郷=根無
●常陸大宮市野上=根無
佐竹氏に仕え、秋田転封時に帰農。
紋は「丸立花」と云います。「根無しの橘」とも云うそうです。
●水戸市下大野=根無
旧家が数件居りまして、大本はルーツの違う二軒かと思われます。
顕幹流立原家(オリジナル橘紋)と右京介流立原家(丸に菊座橘紋)が居ります。どちらも江戸氏に仕え、後に帰農。名主、郷士格、村役人等を勤めます。
☆亀甲紋☆
※図柄は丸に三盛亀甲に花菱(花角?)もしくは花、平、東
※水戸徳川家の拝領の紋。江戸時代の水戸藩、士分の一族、郷士の一族等。
●立原翠軒の末裔、その本家筋一族
顕幹流分家、江戸氏に仕え後に町人や水戸藩士に。
図柄は平、東。
水戸市在住。
●顕幹流嫡家立原氏
佐竹氏に仕え後に庄屋、山横目、郷士等を勤めます。
図柄は花菱。
水戸市在住。
●出雲からの立原家
尼子氏家臣、後に水戸藩士。本姓は源氏(茨城の立原氏はほとんど平氏)。
水戸市在住。
●日立市諏訪町
図柄は平、東。
●常陸大宮市
顕幹流。佐竹氏に仕え後に村役人等。
図柄は花菱。
●茨城町小幡
久幹流嫡家の可能性有。立原城を出た後、江戸氏に仕え、後に水戸藩郷士になる。私が知る限りでは大掾系図の立原氏の末裔はこちらの家のみ。
図柄は花菱。
●水戸市栗崎
顕幹流分家、江戸氏に仕え、栗崎地域の領主一族。
図柄は花菱。
☆藤紋☆
※丸に下がり藤、丸に上がり藤等
●鹿嶋市立原地区
丸に下がり藤、丸に上がり藤
代々鹿島氏家臣。禅秀の乱(1416)において郷土史に『立原地区の所領は没収』とあるのはその頃の立原城主は大掾氏と同じく上杉禅秀についた立原詮幹であり、藤紋立原家は立原城(館や村)に残ったと思われます。
所領没収となった詮幹の子孫は小幡村に土着して江戸氏の家臣になったと思われます。
禅秀の乱以前の立原地区の大本の支配者は行方氏、以後は烟田氏かと思われます。
天正期に佐竹氏に支配される前は烟田氏なのか島崎氏なのか鹿島氏なのか、研究不足のためまだ分かりません。
●鹿嶋市棚木
丸に下がり藤
●水戸市鯉淵町
丸に上がり藤
☆丸に剣方喰☆
●潮来市に多数
戦国時代の地理で考えると島崎氏の家臣かもしれません。
☆丸に桜☆
●潮来市に数件
同じく島崎氏の家臣だったのでしょうか。
☆二つ巴☆
●行方市麻生に多数
地理的に考えると麻生氏の家臣だったのかもしれませんが、もしくは後の支配者島崎氏の家臣というのも考えられます。
●常陸大宮市辰ノ口
☆丸に茗荷☆
☆丸に梅☆
●共に神栖市に多数
立原地区にも鹿島氏宗家にも距離的に近く、鹿島氏の領地であることから鹿島氏の旧臣立原家の分家かもしれません。
☆丸に鷹の羽☆
●埼玉県吉川市
旧家有り。まだ全てが謎です。後日お伺いしたいと思います。
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